全日本管楽コンクール

一般プロO31部門:髙橋奈々子さん

一般プロ(O31)部門で見事、最優秀賞金賞の栄冠に輝いたのは、サックスの髙橋奈々子さん。若い頃、一度は諦めたサックスの夢を取り戻し、現在は尚美ミュージックカレッジ専門学校で演奏助手を務める傍ら、サックス奏者として活動しています。そんな髙橋さんがここに至るまでの困難と挫折、そして努力の日々についてお話をうかがいました。

髙橋奈々子さん

髙橋さんがサックスと出会ったのは、中学校の吹奏楽部に入部したのがきっかけです。当時、髙橋さんが通う中学校は吹奏楽の強豪校で、全道大会にも進出するほどの実力。「かっこいい」という理由で選んだサックスは一番人気の楽器で希望者が多かったのですが、最終的には先生が部員の個性や唇の形を見て楽器を振り分け、髙橋さんはサックスを任されることになりました。

中学3年生の時にはおばあさまがサックスを買ってくれるなど、家族のサポートも受けながら練習に打ち込み、高校でも吹奏楽を続けました。個人レッスンも受けるようになり、音大への進学も検討していたと言います。しかし、高校での部活動が髙橋さんの心に大きな影を落とすことになります。入学当初は「楽しくやろう」という雰囲気だった部活が、ある時を境に一変します。コンクールでの全国大会出場を目指すため、新しく着任した指導者のもと、部の実力は確かに上がっていきました。髙橋さん自身もソロを任されるなど、演奏面では充実していたそうです。

しかし、その一方で、「楽しくやりたい」と思っていた学生たちと、「結果を出すこと」を第一に考える先生との間には、大きな溝が生まれていきました。当時部長を務めていた髙橋さんは、その「板挟み」のような人間関係に次第に疲れ果ててしまったのです。

さらに、音楽を続ける上で避けられない現実的な問題も浮上しました。高額なレッスン料や、もし東京の大学に進むとなれば、それ以上の経済的負担がのしかかります。

そして高校3年生、最後のコンクールが終わると同時に、髙橋さんは一切楽器に触れることをやめてしまいました。スパッと音楽との関係を断ち切ったのです。

尚美ミュージックカレッジ専門学校のコンセルヴァトアール・ディプロマ学科在籍時、

成績優秀者として選出されたフレッシュコンサートでの様子

そこから8年間、髙橋さんはサックスを吹かない日々を過ごしました。北海道の女子大学に進学し、卒業後はそのまま道内で一般企業に就職しました。そしてある時、転職を決意し憧れの東京へ。新しい生活が始まり、少し心に余裕ができた頃、「せっかく東京に来たのだから、趣味でもいい。もう一度サックスを習ってみよう」。その軽い気持ちが、髙橋さんの運命を大きく動かすことになります。

趣味として始めたレッスンで、指導してくれた先生から「専門学校で本格的に学んでみてはどうか」と、尚美ミュージックカレッジを紹介されます。先生の言葉に「その気になっちゃって」、髙橋さんは入学試験を受け、見事合格。8年間のブランクを経て、再びサックスの道を歩き出すことを決意したのです。26歳になったばかりの頃でした。

専門学校に入学してからは、水を得た魚のように音楽に没頭しました。しかし、髙橋さんの人生にはさらなる試練が待ち受けています。4年生の夏に第一子を妊娠。そして、さらに深く学びたいとディプロマコースに入学した、まさにその4月に、娘さんを出産しました。並行して、義理のお母さまの介護にも直面したそうです。

普通に考えれば、ここで1年か2年、育児に専念するために休学するのが自然な流れかもしれません。髙橋さん自身もそう考えたと言います。しかし、「ここで一度休んでしまったら、私はもう二度と音楽の世界に戻ってこれないのではないか」。その恐怖が髙橋さんを奮い立たせました。髙橋さんは、休むことなく学び続ける道を選んだのです。

その生活は壮絶なものでした。しかも、出産は帝王切開。お腹の傷が癒えないまま、髙橋さんはサックスを吹かなければなりませんでした。出産からわずか1カ月半後には、新人演奏会という大きな本番が控えていたのです。腹筋に力を入れることができず、満足に息も吸えない状態。出産前69kgあった体重は46kgまで落ち、まさに命懸けともいえる状態での練習でした。その時、痛みと戦いながら必死で演奏した曲が、今回コンクールで優勝を掴み取ったH.トマジの『Concerto:Ⅰ.Andante-Allegro』だったのです。

帝王切開で出産してから1カ月半後に出演したヤマハ新人演奏会

今回、コンクールに出場することを決めたのは、コロナ禍や出産などで、学生時代に挑戦できるはずだったコンクールをことごとく諦めざるを得なかった背景がありました。「何か目標がなければ、自分は頑張れない。自分を奮い立たせてくれるものが欲しかった」と髙橋さん。そして選んだ曲は、あの出産直後に取り組んだ因縁のトマジでした。

再びこの曲と向き合った時、髙橋さんは大きな発見をします。出産直後の痛みを抱えていた時、髙橋さんは腹筋を使えず、息を深く吸えない代わりに、いわば「小手先のテクニック」だけで難しいパッセージを乗り越えようとする癖がついてしまっていたのです。しかし、今回は違いました。身体が万全な状態でこの曲を練習し直すことで、しっかりとしたブレスコントロールで演奏することの重要性、そして、体がしっかりと支えられていなければ、指も回らないという、演奏の根本的な真理に気づかされたと言います。今回の練習は、過去の自分を乗り越え、新しい音を手に入れるためのさらい直しの作業でした。「あの時と違って、今回は練習がとても楽しかった」と微笑む髙橋さんの表情に、苦難を乗り越えた者だけが持つ強さが垣間見えました。

コンクール本番後、実は髙橋さん自身、あまり手応えを感じていなかったそうです。というのも、本番までに時間が空くので、演奏の途中で楽器が温まってピッチが上がってしまうのを防ぐためにマウスピースを抜き気味にしたところ、それが裏目に出てしまい、逆に音程が全体的に低くなってしまったのです。「ああ、ぶら下がっちゃったな」と、演奏直後はかなり落ち込んでいたと言います。しかし、結果は金賞。

審査員からの講評を見ると、ある審査員は髙橋さんが気にしていた音程の低さを的確に指摘していましたが、それ以上に多くの審査員が評価してくれたのは、髙橋さんの「音色の豊かさ」でした。

サックスの音は、時に他の木管楽器の奏者などからは「ヴィヴラートが強すぎる」「音が大きすぎる」と敬遠されることがあるそうです。髙橋さんは常々、そうしたイメージを払拭し、他の楽器に寄り添えるような、聴きやすい音色を目指してきました。その、髙橋さんが最もこだわってきた部分を評価されたことが、何よりも嬉しかったと言います。

また、当日はピアノのコンディションも特殊でした。通常、サックスのような音量の大きな楽器とのアンサンブルでは、ピアノの蓋は全開にします。しかし、その日はなぜか半開。これにより、髙橋さんは普段の7割程度の音量で演奏することを余儀なくされました。しかし、その結果として生まれたピアノとの絶妙なバランスこそが、審査員が評価した「音色の豊かさ」に繋がったのかもしれないと、髙橋さんは分析します。

恩師である中村均一先生と先輩の瀬川香織さん、後輩の平野ななみさんと組んでいるカルテット

現在、髙橋さんはフリーランスの演奏家として活動する傍ら、母校である尚美ミュージックカレッジ専門学校で演奏助手のお仕事にも就いています。そして、3歳になる娘さんの母親でもあります。娘さんはすっかりコンサート慣れしていて、今回のコンクールも客席で静かに聴いていたそうです。しかし、「サックスはプリンセスっぽくないから嫌」と、フルートを習いたがっているのだとか。

3歳の娘さんの大好きなプリキュアショーに行った時の様子

そんな多忙な日々の息抜きについて尋ねると、返ってきた答えは意外にも「麻辣担(マーラータン)」とのこと。流行る56年前からその魅力に取り憑かれ、上野や新大久保の新しい店を開拓するのが楽しみだそうです。

また、娘さんと一緒に人気アニメ『プリキュア』のショーに行くことにも夢中です。ショーが始まる2時間前から並び、最前列を確保するために情熱を燃やす姿は、音楽に対するそれに通ずるものがあります。そうした日常の何気ない楽しみが、髙橋さんの音楽にさらなる深みを与えているのかもしれません。

最後に、今後の夢についてうかがうと、「クラシックのサックス奏者なら、誰もが一度は夢見ることですが、やっぱりオーケストラの中で演奏してみたいです」と語ってくれました。髙橋さんが音楽家として目指す音、その原風景は、髙橋さんの恩師がオーケストラ(札幌交響楽団)の中で奏でていた音色にあります。あの音に少しでも近づきたい、その思いが今も髙橋さんを突き動かしています。

「私は一度音楽から離れて、また戻ってきた人間だから分かるんです。結局、何があっても続けたもん勝ちなんですよ」。タイミングや環境に恵まれなくても、細い糸をたぐり寄せるように、自分自身と向き合い、諦めずに続けていれば、いつか必ずチャンスが巡ってくる。そう信じているからこそ、髙橋さんは吹き続けます。

家庭の事情で一度は夢を諦め、8年間のブランクを経て再起し、出産という大きな人生の転機すらも乗り越えて掴んだ今回の栄冠。それは髙橋さんにとって、ゴールではなく、新たなスタートラインに立った証に他なりません。苦労と努力の末に手に入れた「豊かな音色」が、これからオーケストラの中で、そしてさらに多くの聴衆の前で、どのように響き渡っていくのか。髙橋さんの今後の活躍から、目が離せません。

全国大会での髙橋奈々子さんの演奏はこちら